Okamoto's

『Dance With Me / Dance With You』

SPECIAL INTERVIEW

― SHO OKAMOTO Part ―

——もちろん岸田さんの存在も大きいけれど、バンドに明確な意志がなければ「Me」と「You」は生まれなかったと思うんですよね。そのあたりはどうですか?

ショウ 『Let It V』と『VXV』を作り終えて、ずっと次のオリジナルアルバムをどういう方向性にしようか考えていたんですね。これまで俺らは伝統的なロックやルーツに根ざした音楽が大好きで、それがバンドにとっての芯であり、自分たちもその歴史の一部になりたいと思って活動してきていて。それは今も変わらないんですけど、5周年を経て、ただ自分たちが好きな音楽を好きなようにやるだけでは、逆に歴史の一部になれないんじゃないかと個人的に思い始めていて。

——この5年でOKAMOTO’Sがどういうロックバンドであるかは多くのリスナーに伝わってはいるけれど、その先を見据えるならばそれだけでは足りないと。

ショウ そういうことですね。5年かけてOKAMOTO’Sらしさ——それはどんどん曲が書けるようになった自分の事はもちろん、各メンバーのプレイの個性も確立してきて、ライヴの作り方もブラッシュアップさせる事が出来てきている。ただ、ここからもっとバンドを進化させるためにはルーツを武器にするだけではダメだなと思ったんです。もちろん引き続きルーツは大事にするし、それは伝統を守るような感覚だから一生貫く部分ではあります。だけど、たとえば俺はフィル・スペクターが大好きで、そういう曲を書こうと思ったときに日本には大瀧詠一さんがいたわけじゃないですか。大瀧さんは、フィル・スペクターのいろんな手法を自分なりに解釈して、昇華して、当時の日本で鳴らすべきポップミュージックをクリエイトしてましたよね。

——ウォールオブサウンドの昇華の仕方であり。

ショウ そう。同じ手法をとっているんだけど、その時代の音や機材の進化、レコーディングの環境もうまく使いながらオリジナルの音楽をクリエイトしていた。俺たちもそういうことをしたいと思ったんです。たとえば海外ではThe Black KeysやArctic Monkeysのようなバンドがブルースの要素を取り入れた重みのあるロックを鳴らして、チャートを席巻していたり。

——最近ではAlabama Shakesのニューアルバム(『Sound & Color』)が全米1位になったり。

ショウ そう、Alabama Shakesもその流れにあるじゃないですか。そういう状況に憧れたし、ブルースロックにジュリー(沢田研二)のような歌謡曲の要素を付け加えたらおもしろいんじゃないかと思って、いろんな実験をしながら曲を作っていた時期もあったんです。

——メンバーも口々にショウくんの曲作りが質・量ともにとんでもないことになってるって言ってましたよね(笑)。

ショウ 俺はひたすら曲を作ってるので(笑)。でも、いろんな実験を試みた結果、これは今の日本で伝わるのかという疑問が残ったんですよね。もしかしたら問題は俺の曲作りのクオリティにあるのかもしれないし。そんなことを考えながら、今度は民族音楽っぽい要素で踊れる曲を作ろうかなと思って、インド音楽とネパールの音楽の要素を組み合わせて、そこにブルース調のメロディを乗せてみたり、そういう試行錯誤を繰り返していた時期もあって。それが去年11月くらいですね。ちょうど「HEADHUNT」を作っていた時期なんですけど、あのときはコウキがいい曲を書いてくれていたから“任せた!”というモードで。

——コウキくんがストレートなアプローチでシンプルにカッコいいと思える曲を書いてくれたから、ショウくんは別のベクトルを探ろうと。

ショウ そう。“俺は次のアルバムの芯になるような曲を絶対に作るから”という想いで。それは発明をするような感覚なんですよね。OKAMOTO’Sにとって、真新しく、説得力を持った楽曲。そういう曲を作りたかったんです。そういうことを思っていたタイミングでくるりの『THE PIER』がリリースされて。あのアルバムを聴いて“やっぱり俺はふつうの曲を作ってちゃダメだな”と改めて思い知らされたんですよね。『THE PIER』は絶対的にくるりの音楽なんだけど、間違いなく新境地に達していて。それもあって、当初は“次のアルバムは岸田さんにプロデュースをお願いしたいです”って言ったんです。

——ショウくんが?

ショウ はい。「HAPPY BIRTHDAY」をプロデュースしてもらったときに相性が抜群にいいなと感じましたし、音楽愛も通じるところがあって、共通言語が多いんです。俺は今の岸田さんのエキスを全部吸収したいと思ったんです。ただ、岸田さんも忙しい人なので、アルバム1枚プロデュースするのは現実的に難しいと。でも、「Dance With You」の原型ができたときにどうしてもこの曲は岸田さんと一緒にやりたいと思ったんです。その想いに岸田さんも応えてくれて「Me」が生まれた。